2001-03-14
映画に登場するオペラ作品の数々をとりあげて、
わかりやすく楽しく紹介するコラムです。
この映画もう一回見直してみよう、オペラっておもしろいんだね、って
少しでも思っていただけると嬉しいです。
映画を見たらオペラも見ようよ
第8回『フィラデルフィア』の生命の歌『アンドレア・シェニエ』
〜オペラ好きは解説好き
このコラム「映画を見たらオペラも見ようよ」を書こうと思ったきっかけは『プリティウーマン』と『フィラデルフィア』でした。私にとってこの2本は「オペラが使われていたから泣けた」(オペラが使われていなければ泣かなかった?)作品だったし、どちらも大ヒット作だけれど、どれくらいの人がオペラのことを解って観ているのだろう?とも思っていたからです。
『プリティウーマン』は第1回でもお話しした通り、2人が『椿姫』を観に行くシーンがあり、最後にリチャード・ギアが来るシーンでも『椿姫』が流れます。私はこのラストシーンで泣きました。実はギアがカーステレオで『椿姫』をガンガン鳴らしながら来たのだと思い込んでいて(なにしろ聴こえた途端に号泣してしまうもので長年気付かず)、そうではなくて「映画音楽」だと分かった時にはちょっとがっかりしたのですが…もちろん『椿姫』を知らなくても『プリティウーマン』は問題なく楽しめるし、知っていればまた嬉しいという憎い演出だったと思います。
『フィラデルフィア』の場合は理解を必要とする使われ方でした。トム・ハンクスが聴く「亡くなった母が」は絶望の中で愛する人に巡り会った女性の歌。「母は死に家は焼かれ」という身の上、「その孤独と苦悩の中で愛が私に呼びかけた」、その「愛」の台詞を「もっと生きなさい。私は生命。微笑んで希望を持ちなさい。私は愛。」と歌うアリアです。HIVで死から逃れることのできないハンクスが「私は生命」という歌声を全身に浴びようとでもするかのようなシーンは淡々とした劇中で感情(とオーバーアクトも?)が溢れる名場面でしたが、凄すぎる歌詞をわかってこそのシーンでもあり、アメリカ映画にイタリア語のオペラという言葉の壁を超えてでもどうしても使いたかった曲なのでしょうが、どこまで解らせるかを考えるあまり説明的になりすぎた感があるのは少し残念に思います。
私が泣けたのは曲が始まった瞬間でした。何度かハンクスがヘッドホンでオペラを聞いているシーンがあったので今度の曲は何かなと思った瞬間、「Io sono la vita(= I am life)」というクライマックスの歌詞が浮かんで涙がこみ上げてきたのでした。でも歌の実況中継のようなハンクスの台詞が長々と続くうち、肝心のその歌詞が歌われる頃にはもうサメてしまったし、歌詞を逐一説明しすぎて一番のキーワードがぼやけてしまったようにも思えました。もっともオペラ好きはとかく説明したがるというのも事実なのですが(こうやって説明している私も含めて)。
それに続くシーンのほうが私は好きです。デンゼル・ワシントンが家に帰って、聴かされたこの曲を思い出す(?実際聴いているのか映画音楽として流れているのかは不明)無言の静かなシーンでは、音楽そのものが心に染み入ってくるようで、観ている私達にいろいろな思いを巡らす時間も与えてくれます。もう1つ「映画に音楽が使われるよさ」を感じさせられたのは2曲の主題歌(ブルース・スプリングスティーン/ニール・ヤング)でした。この映画の舞台で題名でもあるフィラデルフィアが「自由と兄弟愛の都市」なのだとアメリカの歴史をいくら説明されるよりも、歌に込められたフィラデルフィアへの想いがそれを実感させてくれるように思います。
ところで「亡くなった母が」のマッダレーナもかなり過酷な人生のようですがいったいどんな人物だったのでしょう。フランス革命を舞台にした『アンドレア・シェニエ』は若くして処刑された詩人と元貴族令嬢との悲恋物語です。(ピンク色の部分は映画で使われた場面です。)
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