サン=サーンス/ミヨー四重奏の夕べ
1994-04-07


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 オペラ〔アスカニオ〕はアレクサンドル・デュマ(大デュマ)の物語「アスカニオ」(1843)、Pミューリスの劇「ベンヴェヌート=チェリーニ」(1852)に基づき、ガレが台本を書く。ベルリオーズのオペラと混同しないために題名をかえた。さて、その筋だが、ベルリオーズのものは、彫金士チェリーニが彫金士フィエラモスカと結婚させられることになっている教皇財務官バルドゥッチの娘テレーザに恋し、駆け落ちを試みるが露見、教皇の依頼したペルセウスの像を見事完成させ、罪を免れ御両人はハッピーエンド、というものである。サン=サーンスのオペラでは舞台がフランスの宮廷になっているが、おそらく内容は同じだろう(と思う…確認できていません)。
 サン=サーンスはオペラにかなり労力を費やし、残した曲も多いが、現在上演されるのは〔サムソンとダリラ〕くらいであり、正当に評価されているとは言いづらい。この曲は、マイナー扱いされ、歴史の表舞台から遠ざかる傾向にある名曲を掘り起こすための、一つの動機を提起してくれているとも言える。
 前の曲にも関係していたタファネルはサン=サーンスの旋律を多くフルートのために編曲しており、この曲の他にもオラトリオ〔大洪水〕op.45、ロマンス(チェロとピアノ)op.51、白鳥、オペラ〔プロセルピーヌ〕からパヴァーヌなどがある。

 ♪見えない笛  (1885) 詩:ユゴー
 ♪東洋への願望 (1871) 詩:作曲者
 ♪愛しあおう  (1891) 詩:バンヴィル
 ♪死の舞踏   (1873) 詩:カザリス

 サン=サーンスの歌曲といっても、一体どんな曲なんだ、とお思いの方も多かろうと思うが、意外や、サン=サーンスには歌曲が多い(確認できただけで88曲、そのほかに曲集が4つ)。単に、現代の日本において知られていないだけである。とはいえ、解説担当者もこれらの曲には明るくないので、詳細は訳詞をご覧いただくこととし、構成上の特徴のはっきりしたものや、作曲年代から推定できることを少し。
 〔見えない笛〕はフルートの助奏が付く。1885年というと、国民音楽協会を脱退する前年であり、室内楽に目が向く少し前の時期だが、親友タファネルとの関係がフルートを歌曲に入れるという発想にいたらしめたのだと考えられる。ちなみに、管弦楽伴奏以外には、ハルモニウム、ヴァイオリンの伴奏が一曲ずつあるだけである。また、ユゴーはお気に入りだったようで、彼の詩に17曲を作曲している。
 〔東洋への願望〕は、作曲者自身の作詞。この年、フランスは普仏戦争に敗れ、急進派だったサン=サーンスも宗旨替えをし、国民主義的な活動をはじめるのだが、陳腐な愛国者に鞍替えしてしまうことへの葛藤から、精神の安住地を求めて揺れ動く様を反映しているといったら深読みのしすぎか。
 〔愛しあおう〕は本来オーケストラの伴奏。この頃はもう石のようにコチコチの保守派で、いわば愛情に満ちた生活などを一切切り捨てて生きていたはずの彼が、どのようなメッセージを詩に読み取ったか、興味深いところ。同じ詩を使って、ドビュッシーも歌曲を書いている(1881年頃と推定されるが、サン=サーンスはドビュッシーの音楽を嫌っていたので、彼が後輩ドビュッシーの歌曲を知っていたとは考えにくい)。
 〔死の舞踏〕は歌の翌年に交響詩として世に出され、こちらの方が有名だが、歌曲の方が着手、発表共に早い。サン=サーンスの作風としては初期の部類に入るらしく、彼は〔動物の謝肉祭〕で、この旋律を「音楽の化石」として自虐的にパロディしている。

 ♪オーボエ・ソナタニ長調op.166 (1921)

 死んだのがこの年の12月だから、まさに最晩年の作。作品166から168まではオーボエ、クラリネット、ファゴットとピアノのためのソナタであり、さながら3部作を構成するかのようである。

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