コーヒーの薫りから生まれたもの / カフノーツ#10
2004-07-18


カフノーツはコーヒーにまつわる短いお話をあれこれご紹介します。 コーヒーでも飲みながらのんびりお読みください。

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 コーヒーが刺激を誘う不思議な飲物としてアラビアで飲まれるようになって以来、コーヒーをだす店には多くの人が集まり、そこから新しい思想や文化、芸術が生まれてきました。コーヒーの歴史は、文化の歴史と重ね合わせて見ることができるようです。

 16世紀頃のトルコでは、コーヒーをだす店はカフヴェと呼ばれ、政治談義から下世話な話までさまざまな話題が語られていたといいます。

 17世紀に始まったイギリスのコーヒーハウスは、18世紀始めにはロンドンだけで2000軒ものコーヒーハウスができるまでに大発展していきます。最初は新聞が置かれていただけのコーヒーハウスですが、あらゆる階級・種類の人々が集まり、人間のるつぼのような一大情報センター的な機能を担っていきました。そこでは、政治や国際情報から芝居や詩の批評、インチキな科学話や商売の話、モードの流行やうわさ話にいたるまで、ありとあらゆる種類の真偽織り交ぜた情報が飛び交っていました。18世紀のイギリスのコーヒーハウスの機能は、いまインターネットを通じてさまざまな情報がやりとりされている姿と似ていますね。それまでは貴族のサロンで行われていた情報交換の場が、階級という垣根を取り払われて、コーヒーと共に一般化していったのです。当時のイギリスのコーヒーハウスは男性だけが集まる場所でしたが、コーヒーハウスへ入り浸りになる亭主たちに業を煮やしたのは女性たち。「男性をコーヒーハウスから取り戻せ!」と立ち上がった彼女たちは、コーヒーの悪影響について訴えた請願パンフレットまで発行したとか。そのせいかどうかは別として、イギリスがコーヒーを供給する植民地を失ったなど、さまざまな時代的背景の結果、18世紀に燃え上がったコーヒーハウス熱は、夢から覚めたように活気を失っていきました。

 他方、お隣のフランスでも18世紀に花開いたカフェブームは、19世紀から20世紀にかけて、さまざまなスタイルで発展していきました。革命においてもカフェでの政治論争は大きな役割を果たしていたし、文人やダンサーが集まったカフェは、世紀末の文化そのものを生み出す器となりました。フランスのカフェは、コーヒーだけでなく、酒や軽食もだしたり、音楽や踊りを提供するようなカフェなどもあったり、多様なスタイルで発展しました。19世紀末に流行したカフェコンセール、略してカフコンスもその一種。前回も取り上げたように、働き者のオーベルニューの人々が、朝から夜中まで、まるでコンビニエンスストアのように年中無休でカフェを営業していたことも、パリのカフェ発展史に一役かっているのかもしれません。朝も昼も夜も、飲んだり食べたりくつろいだりできる場だったからこそ、あらゆる種類の人々が集まったのでしょう。20年代から60年代にかけて、パリのカフェは、国籍を超えたあらゆる芸術家や作家などの集まる文化の発信の場としても有名でした。イギリスのコーヒーハウス、フランスのカフェ、コーヒーと人の集まる場という共通点は同じなのに、その歴史はなぜかこんなにもちがってしまいました。しかし、コーヒーと人の集まる場からは、新しいコミュニケーションや文化が生まれやすいという点はまちがいないようです。(カフコンス第10回「カフェのある街並み」プログラム掲載。)

西川公子 Hiroko Nishikawa
ウェブやフリペの企画・編集・ライティング。プレイステーションゲーム『L.S.D.』の原案、『東京惑星プラネトキオ』『リズムンフェイス』のシナリオなど。著作に10年分の夢日記をまとめた『Lovely SweetDream』。最近は老人映画研究家。
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