カフェ・オ・レ成立までの長くまがりくねった道のり / カフノーツ#03
2003-05-18


カフノーツはコーヒーにまつわる短いお話をあれこれご紹介します。 コーヒーでも飲みながらのんびりお読みください。

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 フランスといえば、カフェ・オ・レ(最近では、カフェ・クレームと呼び名が変わっているようです)。実際、フランスにおいてカフェ・オ・レが飲まれるようになった起源はというと、17世紀後半にさかのぼります。その少し前には、トルコ大使がフランス宮廷でトルココーヒーの優雅な実演デモを行っており、オリエンタルへの憧憬趣味とセットになって、コーヒーはフランス貴族たちの心をぐっと捉えました。その後トルコ軍はウィーンを攻めますが、敗退。トルコ軍の残したコーヒーがヨーロッパに広がります。それでも異国のコーヒーは、まだまだ一般化には至らず、庶民には無縁のものでした。しかもコーヒーは、胃に沈殿し、人間の心身に悪い影響を与えると長く信じられていました。

 1685年にコーヒーは体に悪いという定説を覆したのが、フランス人医師シュール・モニンでした。心身に悪いコーヒーも、煮立てた牛乳にコーヒーと砂糖を入れて飲めば健康によくなるというのが彼の意見。当時高価なものだったコーヒーと砂糖の入った飲み物を薬として用いました。

 また、パリ大学の医学部長フィリップ・ユケは、コーヒーの効力は「情熱の炎を鎮め、その結果、操の誓いを立てた人間にとって大きな援助となる」と主張。淫乱を防ぎ、家庭を守る神聖なる薬としてコーヒーの存在意義を持ち上げて推奨しました。彼らの意見が効を成したのかどうかは不明ですが、コーヒーは次第にフランス社会に浸透していき、18世紀にはパリの街に多くのカフェを発展させていきます。ただしこのカフェも、文人たちや裕福な商人たちが集う場であり、まだまだ庶民にとってコーヒーや砂糖などは縁遠い存在でした。

 18世紀後半フランス革命を経て、フランス社会は激変します。宮廷で独占されていたコーヒーや紅茶、砂糖といった贅沢な嗜好品が、市民層そして庶民層のもとへ手渡されていきます。そして19世紀後半から20世紀にかけては、工業化技術と鉄道がさまざまな嗜好品を安価で供給することを手伝ってくれました。たとえばそれまで、新鮮な牛乳をそのまま飲むことは、田舎の人々にしかできなかった習慣でした。しかし鉄道の発達と牛乳の殺菌技術により、都市の人々も牛乳をごく普通に飲むことができるようになっていきました。牛乳、お砂糖を入れたカフェ・オ・レという、いまではあたりまえの飲み物たちが、こんな風に「あたりまえ」になったのは実はまだまだ最近のことなのです。

 19世紀初頭に書かれたサヴァランの『美味礼賛』にも、カフェ・オ・レと砂糖の関係に関する話があります。砂糖は「ミルク入りコーヒーに混ぜれば、軽くておいしい食事になる。これは簡単に得られるし、朝食後すぐに書斎の仕事を始めるような人々には格好のものである。ミルク入りコーヒーは婦人たちの大好物である」。やっとこの時代に入って、砂糖もまた一般化してきたのでした。

 こうやって長い歴史の紆余曲折を通過して、浸透化していったカフェ・オ・レ。そんな歴史を振り返りながら、たまにはミルクとお砂糖たっぷりでコーヒーをいただいてみてはいかがでしょうか?(カフコンス第3回「仏蘭西浪漫派二重唱」プログラム掲載。)

【参考文献】南直人『ヨーロッパの舌はどう変わったか』(講談社選書メチエ)臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る』(中公新書)ブリア-サヴァラン『美味礼賛』(岩波文庫)日本コーヒー文化学会編『コーヒー事典』(柴田書店)

西川公子 Hiroko Nishikawa

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